柴原孝治 × 白石達史


豊かな自然と、歴史と文化が残る飛騨地区。
世界遺産の合掌造りで有名な白川村に移り住み、地域おこし協力隊の一人として、空き家対策を中心に、高齢化が進む南部地域の活性化に取り組んできた柴原さん。
白壁の趣ある街並が残る飛騨市古川町で、地域の人の相談に親身に耳を傾け、編集力で問題を解決し、新しい価値をもたらす白石さん。
自然と風情のある町に暮らし、地域の可能性を広げる多彩なプロジェクトを行ってきた2人にプロジェクトを進める秘訣などを伺いました。


呼ばれるようにたどり着いた場所

—柴原さんは2014年に白川村へ、白石さんは2010年に飛騨古川に移り住まれたとのことですが、そこに至るまでの経緯やきっかけを聞かせてください。

柴原:東京で6年、名古屋で2年半働いていたのですが、大きい組織の中で与えられた仕事をするより、小さくても自分で事業をしたいという思いを昔から持っていました。
リクルーターとして採用活動もしていたのですが、結局就職した人の3分の1が3年以内に辞めてしまう。都会では3人に1人の若者がくすぶっているのに、地方は3人に1人が高齢者。その2つの問題をうまく解決できる事業ができないかとひらめきました。
ちょうどその頃、白川村が地域おこし協力隊を募集しているのを知り、そういう事業を始めるために、協力隊として地域に飛び込むことはすごく良い手段だと思いました。思い立ったが最後、飛び込まずにはいられなくなってしまいました。当時は協力隊という制度もあまり理解していなくて、他の地域でも募集していることも知りませんでした。

白石:僕は大学を卒業してから、バックパッカーとして4年ほど海外を放浪していました。その間、2年ほどカンボジアで日本語の教師をしたり、アメリカのアリゾナ州で木こりをして過ごしました。その後東京に戻り、26歳のときに初めて就職をしたのですが、それまでお金に無縁の生活をしていたので、働いてお金をたくさんもらえてうれしくなってしまって。一瞬で東京の消費生活に染まって、入ってくる以上のペースでお金をどんどん使うヒドイ生活をしていました。

柴原:分かるよ。働き始めの頃はそうなるよね。

柴原さん

白石:ある日コンビニでシャツを買った瞬間に、ふとアリゾナを思い出して。アリゾナでは、1日中肉体労働をして汚れたシャツを1週間くらい洗わずに着てプロジェクトを続けるようなボロボロの状態だったのだけれど、そのときの方が豊かだったなって。電気もガスも水道もない場所だけれど、自然のサイクルに近い生き方をしていました。お金以外の価値を実体験していたと思ったんです。そこで1度リセットするために、ヨーロッパにいる木こり時代の友だちを尋ねて歩きました。そしたらみんなことごとく田舎に住んでいて、雪原を馬に乗って迎えにきてくれたりして。そういう姿を見ているうちに、日本に帰ったらどこか田舎に行こうと決めました。
ちょうどその頃、「飛騨で会社を立ち上げる人が、一緒に働く人を募集しているから、白石さんを推薦したよ」と日本の友人から連絡があって、帰国してそのまま飛騨に来ました。

—お2人とも選んで来たというより、呼ばれた感じですね。

柴原:住むところがどうとか、生活のしやすさがどうとか考えたら、来られなかったと思う。本当に呼ばれたって感じですね。
あとは、実際に村に見学に来たときに、案内してくれた当時の役場の担当者と波長があったことも大きかったですね。子どもが通うことになる保育園の前で立ち話をしているときに、「この人と働くかもしれない」と、ふと思ったんですよね。

白石:他と比べるにしても、そもそも判断基準がどこにもないですからね。来た場所を、自分にとってより面白くするにはどうしたらいいかを考えることが大切だと思う。

—白石さんが移住されてからこれまでにどのようなことをされてきたか教えてください。

白石:2010年の4月に飛騨に来て、7年間は暮らしを旅するガイドツアー「SATOYAMA EXPERIENCE」のマネージャーをしていました。まだ東日本大震災も起こる前で、移住という言葉もホットワードでもなかったので、地元の人からは「東京で何かやらかしたのか」と心配されるのと同時に怪しまれていましたね(笑)。昨年からはフリーランスになって、編集の仕事を中心に、色々な地域イベントを仕掛けています。プロデューサー的な立ち位置のこともあれば、ディレクターに徹することもありますし、特定の職種ということではなく、地域内でこれはやった方がいいなと思うことに取り組むことが多いです。

柴原:音楽から編集のイベントまで分野も色々だよね。

白石さん

白石:地域の自動車屋の感謝祭イベントをリニューアルする仕事も面白かったですね。こだわりのある輸入車を扱っているところなのですが、若者には軽自動車しか売れないし、高齢の方は免許を返納したりで売り上げも上がらないし、その自動車屋の一番得意なところが発揮できないという相談を受けて。そこで「車のある暮らし展」というイベントを企画して、フランスのクラシックカーをずらっと並べて、所有者の方がどう使っているかライフスタイルが垣間見えるようなイベントを2日間開催しました。そしたら、すごくたくさんお客さんが来てくれて、前年度100人くらいだったのが400人くらいになりました。

—すごいですね。そういう相談を受けるのは、やはり飲み会の場が多いのですか?

白石:ほぼ飲み会かもしれません(笑)。

柴原:すごく人脈が広いから、大変な気がするね。

白石:相談を受けることは本当に多いですね。何に繋がるのかその場では分からないのですが、とりあえず全力で相談に乗ります。

柴原:基本的に優しいんだよね。

白石:その場で解決策を思いついて終わることが半分くらいだけれど、それが数年後に仕事につながることもあって。一緒にやることでよい未来を作り出すことができると感じた時に仕事として受けます。

「車のある暮らし展」当日の様子

—柴原さんはこれまでどのような活動をされてきましたか。

柴原:白川村と聞いて皆さんが思い浮かべるのは北部の世界遺産だと思いますが、地域おこし協力隊の僕のミッションは南部エリア活性化で、空き家対策を担当しました。3年の任期中に、10軒以上の空き家で賃貸や販売のお手伝いをしました。空き家改修のワークショップをしながら、シェアハウスや移住体験住宅として使う建物を自分たちで改修することもありました。
地域おこし協力隊の任期中に社団法人を立ち上げ、世界遺産集落内の合掌造り家屋「旧花植家」の管理運営などをしたり、自宅を改装して「アオイロ・カフェ」をオープンしたり。2017年11月には特定のキャンパスを持たないソーシャル大学「白川郷ヒト大学」も開校しました。建物をたくさん管理しているので、冬は屋根の雪下ろしばかりしていますね。

「アオイロカフェ」内観

—飛騨での生活は雪とは切り離せないですよね。移住を検討されている人にとってはネックになることもあると思うのですが…。

白石:僕はネックとは思っていないですね。単純に当たり前にあるので。雪かきをすることが日常生活にくっついてきましたけど、それがあるから住まない理由にはならない。スポーツみたいな感じですかね。例えば、夏はランニングしているけど、冬はできないから雪かきみたいな感じで。

柴原:冬は冬らしく暮らすようになりましたね。僕らは夫婦揃って南国が好きで、会社員時代は毎年夏に南国へ行っていたんですよ。この間、年末に石垣島に行ったんですけど、以前程は南国に感動が沸かなかったというか、村に帰ってきて、四季のはっきりした雪国も悪くないなって。季節ごとにやることが変わるじゃないですか。その変化がすごく良いなって改めて思いましたね。

プレーヤーとして、自分が面白いと思うことを続ける

—地域でプロジェクトを行なう際に心掛けていることはありますか。

柴原:会社員時代は管理職もやっていましたが、自分がプレーヤーでなくなることに葛藤がありました。プレーヤーとして自分自身が面白いと思えることをやって、それを面白いと思う人たちが関わってきてくれたらいいなと思ってます。

白石:同じですね。自分が面白くないけど地域のためにみたいなことは、自分が長続きしない。それよりは単純に自分のモチベーションが高いところで、動いていたいというのはあります。

—お2人がいま一番面白いと思っていること、今後やっていきたいと思うことは何でしょうか。

柴原:僕は会社員時代、一番多いときには35人の部下がいたんですよ。もう、毎日悩み相談。どうしたらその人がやる気を出してくれるかを日々考えていたんですけど、最近になって若い人に何か伝えることって面白いなと思えてきました。
「白川郷ヒト大学」にも繋がるんですけど、移住の動機にもなった、くすぶっている若い人がやりがいをもって活躍できる場所を地域に作るという自分のやりたいことを、4、5年経ってやっとできるようになってきた。今まで点でやってきたことがつながってきたんです。だから思いっきりそちらに軸足を踏んで、白川村に常時大学生がいる環境を作るとか、大学と連携して白川村で単位が取れるとか、大学生や若い人が滞在できる仕組みを作っていきたいですね。

「白川郷ヒト大学」の様子

白石:僕はいずれ2拠点生活をしたいなと考えています。飛騨と都会というケースは良くあるんですけど、僕はローカルとローカルで生きていくことができたらすごく面白いだろうなと思っています。
ローカルの魅力っていうのは、その土地に住んだり、長く関わらないと分からない。飛騨と同じように他の地域にも拠点を作れたら、その地域の面白さをちゃんと体験できて、そこと飛騨とを何かしらミックスできるような動きができてすごく面白いだろうなって思ってるんです。他の地域にも仕事があって、住む場所があって、関わっていけるコミュニティがあると、その場所から新しい視点を飛騨に持って来られるんじゃないかと思っています。

柴原:それは僕も一緒。「白川郷ヒト大学」は今、石垣島と三重の尾鷲にネットワークを作ろうと進めています。お互いに課題や良さを学び合うことでもう少し肩の荷を下ろして自分達の住む場所と向き合うことが出来る。若い人が狭い世界しか知らないのと一緒で、他を知らないということは良くない。例えば白川郷の人が石垣に行って、石垣の課題を知ることも大事だし、白川村発の「ヒト大学」を全国にいくつか作りたいなと思っています。

ローカルで活躍する若手プレーヤーである柴原さんと白石さん。対談を通して感じた共通点は、自らが「面白い」と感じるアンテナに正直であること、そして地域を尊重し、魅力を見つけてアウトプットを生み出している姿勢でした。地域の人、外からくる人、そして自分の3者が楽しく、良い変化のある形を模索していくことが、ローカルを活かす秘訣なのかもしれません。

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