園原麻友実 × 玉川幸枝

園原麻友実さん、玉川幸枝さん

岐阜県南東部、日本のちょうど真ん中に位置する東濃地域。
多治見、土岐、瑞浪、恵那、中津川の5市からなるこのエリアは、陶磁器の国内シェア60%を誇る美濃焼や、作家・島崎藤村の生誕地である馬籠宿などで知られています。
中津川市出身で、恵那山麓エリアの魅力を伝えるローカルメディア『おへマガ』の編集長を務める園原麻友美さんと、瑞浪市の釉薬会社を営む家に生まれ、タイルや焼き物をテーマに瑞浪の地域活性化に取り組む玉川幸枝さん。
東濃の魅力を“コト”と“モノ”それぞれで伝えてきた二人の、楽しくて深いい“ガールズトーク”をお届けします。


—お二人はとても仲が良いと伺ったのですが、初めて会ったのはいつですか?

玉川:園原ちゃんと出会ったのは、2015年の『岐阜ナイト』(1)が最初だよね。

園原:そうだね。恵那市の移住事業の一環だったんだけど、「東京にいる岐阜の人集まろうよ」っていうゆるいものだった。

玉川:私はそこに一参加者として参加しました。130人くらい来ていて、すごい盛り上がったよね。

▲岐阜ナイトの様子

園原:参加者の7割が岐阜県出身者だったんだよね。都市で「岐阜」っていいう共通項で集うことで生まれる価値だったり、自分の出身地への新しい関わり方が生まれたらいいなって思ってた。「あれから僕、森林文化アカデミーに入学したんです。」って方に再会したときは嬉しかったなー。

玉川:すごいねー。私は岐阜と東京を行き来している頃だったので、仲間を探していて。共通の友人を通じて、園原ちゃんを紹介されました。その後Facebookで連絡を取って、ランチに行って意気投合して。名古屋で一緒にイベント(2)をしたんだよね。

園原:あのときの岐阜ナイトin名古屋も満席だったよね。それだけみんな、出身地離れるとなかなか話す機会って少ないんだろうね。

――「自分のアンテナを立てれば、見えてくるものがある」(玉川)

―玉川さんは東京と岐阜を行き来されていたということですが、その頃はどのような活動をしていたのですか?

玉川:私は瑞浪市の出身で、家業がタイル用のメーカー屋だったので、そこで26歳まで働いていました。でもそれを義務でやらなくちゃと思っていたこともあって。世界一周したり、ゴミ拾い活動などの社会貢献活動をしたりして、色々と逃げまわっていたんです。

―元々好きではなかったという窯業の仕事で起業をされましたが、どこかで気持ちに折り合いがついたのですか?

玉川:6年半前に、「ビジネスを勉強したい」と思い、東京に行きました。NPO法人でプロジェクトマネジメントの仕事をする中で、周りの人に言われて、「自分の一番やりたいことは釉薬だ」と気がつきました。

やはり窯業界は一番の町の活力なんです。窯業界の元気は、町の元気に繋がっている。窯業界全体を元気にしようというのは壮大なミッションだけど、タイルの釉薬会社が新たな道を探りながら事業を継続させていくことで、お付き合いのあるメーカーさんや原料メーカーさんが元気になっていくという構図を私は信じ続けようと。いやー、戻ってきちゃったね。

▲釉薬によって色や表情が変わるタイル

―園原さんもUターンですよね?
園原:私は玉ちゃんとは全然違って、地元に戻る明確な目的や理由があったわけでも、使命感に燃えていたとかでもなくて。すみません…(笑)。Uターン後の3年間は地元の中小企業で会社員してたし、地域への興味は全くなかった。

でも、今所属しているNPO法人えなここに出入りするようになってから、人との出会いを繰り返すうちにいつのまにか仕事になっていたって感じ。地域をフィールドにしてる同世代に出会ったことも自分にとっては大きな転機だった。
「悔しかったら、僕らと同じところへあがっておいでよ。」っていう一言に、当時はおもいっきり影響を受けて突き動かされたの(笑)

玉川:あるよね。きっかけになる一言って。私も世界一周をしていて、23の時に「旅するように、日常を生きる」というメッセージをもらったんだよね。旅に行った時って、「どんな人がいるのかな」とか「どんなものに出会えるかな」って、常にアンテナを高く立てて、新鮮な気持ちでいる。でも本当は日常でも同じような気持ちでいることはできるはずなんだよね。

私たちは日常だって思うと、一気にスイッチをオフにしてしまう。恵那、瑞浪、土岐、多治見なんて知ってるでしょって。その言葉をもらってから、日常でも自分のアンテナを立てて生きるようになった。だから瑞浪でいろんな人に出会っていけるんだろうなって思う。要はスイッチを入れたかどうかだよね。

園原:そうだね、同感。そういう中で出会った人たちの活動や、この地域で大切にされてきた暮らしをもっと伝えられたらいいなというのが『おへマガ』を立ち上げた最初の気持ち。

――「地の部分に近い、ローカルの暮らしを伝えたい」(園原)

園原:恵那市にはここ数年、年間100人近い方が移住しているんですよ。

—『おへマガ』がきっかけになったり、背中を押されたという人も多いんじゃないですか?

園原:嬉しいことに、特にここ1年はそういう言葉をかけてもらうことが増えました。

玉川:そうなんだ。すごいじゃん!

園原:最近も、恵那にした最後の決め手は『おへマガ』でしたって言っていただいて。
「どのように暮らしてるか、どういう人たちがいるのかということは、自治体などのホームページやパンフレットでは分かりづらい。『おへマガ』は地に近い部分が見えるところがすごくいいし、こういう人たちがいるエリアなら大丈夫だなって思った。」って。
はじめた当時は特に、本当のローカルの暮らしの部分ってネット上に全然情報がないなって思ってたんだよね。上辺や移住支援情報だけでなく、見える化されにくい部分を発信することで、生きたい場所で生きるきっかけや後押しができたらいいなって思い。「おへマガ」は恵那山麓地域や地域に根ざした暮らしへの「入口」であり続けたらなーと思ってるよ。

▲恵那市の風景

玉川:瑞浪にも、結構若い方が移住してきているんですよね。私は、焼き物の工場見学イベントを企画しているんですけど、工場に取材に行くと、必ず若い女性の方が働いている姿をみます。
彼女たちは瑞浪や焼き物のことが意外と好きみたいで、例えば、「みずなみ」という名前の響きが好きとか。私たち地元の人間が思ってもみなかったような、外の目で瑞浪の良さを捉えていたりする。すごい可能性あるじゃんって!そういう部分を“見える化”していったらいいと思うんだよねー。

園原:やったらいいやん。

玉川:身体が3つくらいあったら、やりたいんだけど…。『おへマガ』に瑞浪もいれてよー(笑)。

工場見学イベントの様子

—お二人は、これからやってみたいと思っていることはありますか?

玉川:同世代の仲間がもっと欲しいですね。やっている分野や地域は違えど、園原ちゃんとかは仲間って感じがする。こういう、ちょっと声かけたくなる人をもっと増やしていきたいなと思っています。
瑞浪は、何かをがんばろうと思った時に背中を押してくれる土壌ができ始めている。これで勝負をしたいという人が仕掛けられる産地にしていきたいなと思う。面白いことを考えている人、ぜひ一緒にやりましょう!

園原:私は、次は“場”を作りたい。”地域”というコミュニティじゃない部分でつながる、ゆるやかなコミュニティだったり関係性がもっと増えたら豊かなんじゃと思っていて。今この樫舎って場で、移住した方とかものづくりされてる方と一緒に2ヶ月に1回マルシェをやってるんですけど、ここがチャレンジの場や人や地域との新しいネットワークをつくる場になっていくといいなと思っています。

玉川:私も瑞浪の駅前の空き物件を『みずなみ若者ビルディング』と題して、場を作ろうと思っていて。地域のがんばりたい若者に来てもらいたいなと思って、今オーナーさんと話をしながら進めはじめたところです。タイルの事業と並行してなので、ゆっくりだと思うんですが…。

園原:楽しみだね!

(1) http://machinokoto.net/gifu-night-in-tokyo/
(2) http://ohemaga.com/event/gifunight-nayoya-1017

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