【公式】岐阜県への移住・定住ポータルサイト 【継業ストーリー】岐阜県 美濃市 澤村正工房 澤村正 × 山田 祥大 |対談|地方移住・定住なら、ふふふぎふ|岐阜県 岐阜県

taidan

【継業ストーリー】岐阜県 美濃市 澤村正工房 澤村正 × 山田 祥大

きれいな心で紙を漉く
【継業ストーリー】岐阜県 美濃市  澤村正工房 澤村正 × 山田 祥大
  • 澤村正

    事業者

    本美濃紙  手漉き和紙職人

  • 山田 祥大

    後継者

【継業ストーリー】  岐阜県 美濃市
事業者:澤村 正(さわむら まさし) × 後継者:山田 祥大(やまだしょうた)

【1300 年に渡り、繋いできた伝統が息づく美濃市】
岐阜県の中心部に位置する美濃市は、自然、伝統、歴史文化が織りなす情緒豊かな町です。市内を流れる板取川は、水質がよく、川下りや釣りが盛んに行われています。
また、中心市街地の「うだつのあがる町並み」は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、当時の灯台や橋、古い建造物など歴史的な景観が現存しています。それらの自然や文化のもと、1300 年以上続いてきた伝統が和紙づくりであり、美濃市が世界に誇る伝統工芸品が美濃和紙です。

良質な和紙の原料と長良川や板取川の清流に恵まれた美濃で生まれる美濃和紙は、均一な薄さであるにもかかわらず丈夫で、柔らかく風合いのある美しさが魅力です。その品質の高さから表具(障子、襖、屏風、掛け軸など紙や布を張って仕立てられるもの)のような伝統的なものから、照明器具やインテリア、小物など様々な用途に使われてきました。
また、2021 年に開催が予定されている東京オリンピックの表彰状には美濃手すき和紙が採用されることが決まっており、まさに美濃市が世界に誇る伝統工芸品だといえます。

その伝統を守り続けてきた人こそ、国の重要無形文化財、本美濃紙保存会名誉会長で手漉き和紙職人の澤村正さんです。


【伝統を守りつづける手漉き和紙職人 澤村正さん】
現在、91歳の澤村さんは現役の本美濃紙の手漉き和紙職人です。昭和20年、戦後まもなく澤村さんは 15 歳で家業の和紙づくりに本格的に携わるようになりました。
当時はどこの家も和紙づくりをしていて、当たり前のように和紙づくりを手伝ったそうです。
しかし、需要不足や価格の低迷などの理由から、多いときで約3,000軒以上あった工房も、昭和の終わり頃には30軒ほどに減っていきました。もともと紙漉き職人だった周りの人たちは次々に和紙づくりをやめて、サラリーマンや工場に働きに行くようになりました。それでも澤村さんは手漉き和紙一筋。自分が目指す最高の和紙を作り続けました。

そして、2014年。本美濃紙の手漉き技術がユネスコ無形文化遺産に登録されたのです。

「きれいな空気、きれいな水がある美濃は紙漉きに適した場所なんです。あと必要なのは、きれいな心。」

と話をされる澤村さん。
和紙づくりを始めて76年以上が経った今でも、「まだまだ私は一年生です」と謙虚な姿勢を崩しません。
「一旦、工房に入ればどんな時でもどんな日でも、生きている喜びとこの仕事ができる喜びを感じて、心で紙を漉くんです
澤村さんは「いかにして良い紙を漉く後継者を育成するかが大切です。時代に合った本美濃紙づくりを見いだして頑張ってもらいたいんです」と話されていました。

美濃の一帯で作られる手漉き和紙製品のうち、本美濃紙は 1 割ほどで、決められた原料と製法で漉いた厳格な基準が定められ守り継がれています。
決して楽とは言えない厳しい世界に、「美濃で一番の紙漉き職人になりたい」と一人の青年が現れました。


【美濃の紙漉きは美しい。職人への憧れを胸に弟子入り】
富山県で生まれた山田祥大(やまだ しょうた)さんが初めて美濃和紙を知ったのは高校生のころ。
地元新聞で特集されていた美濃の紙漉き職人の記事を読み、「こんな仕事があるんだ。かっこいいなぁ」と思ったそうです。それに加えて絵を描くことも好きだった山田さんは奈良県にある美術系の短大に進学。卒業後の 2 年間は奈良にある学校で美術の教師として働いていらっしゃいました。
しかし日々の生活の中で、人にものを教えることよりも、絵を描いたり、物を作ったり、自らの手でなにかを創り出すことのほうが自身に合っているのではないか、と考えるようになったのだとか。

そんな矢先、山田さんは奈良の紙漉き職人さんの紙漉き体験ワークショップに参加します。
そこで初めて紙漉きのおもしろさに触れ、高校生のときに読んだ新聞記事が頭の中で蘇りました。改めて紙漉き職人への憧れが沸いてきたのです。
それを機に自ら調べていると、国内にいくつかある和紙の生産地の中でも特に美濃和紙の紙漉きが美しいことを知り、「紙漉き職人を目指すなら美濃でやりたい!」と思い立ちました。

その後山田さんは、現地美濃市で美濃和紙1300年の歴史や技術を伝える「美濃和紙の里会館」を訪れました。
そこで開講される「美濃・手すき和紙基礎スクール」で 1 ヵ月間にわたって美濃和紙の基礎的な製造技術を学び、紙漉き職人への第一歩を踏み出したのです。

また、この「美濃和紙の里会館」での学びは、澤村さんと山田さんを引き合わせた美濃和紙の里会館 館長、清山さんとの出会いにも繋がることとなりました。

紙漉き職人としての基礎的な技術と美濃和紙に取り組むうえでの心構えを身に着け、
清山館長のサポートのもと、山田さんは澤村さんの「澤村正工房」へ弟子入りすることができたのです。
現在、山田さんは澤村さんのもとで週3~4日ほど修行をし、土日は美濃和紙の里会館で紙漉きワークショップの指導の仕事をしています。休みの日は近所のお店でご飯を食べたり、紙すきに関する本を読んだりと、ゆったりとした岐阜での暮らしを楽しんでいるのだとか。
趣味のドライブもコロナ禍が落ち着いたら、広い岐阜県のいろんな場所へ出かけたい、と話していただけました。


和紙づくりを学ぶ中で、澤村さんは山田さんに「目線を鍛えろ」とおっしゃるそうです。
それは山田さんが大学時代、教授から「見ているものと対話して描きなさい」と言われたことと通ずる部分があると山田さんは言います。
山田さんが今まで培ってきた美術的な感性は今の和紙作りに活かされています。
そのように、自身の知識や経験と紙漉きの感覚が重なる瞬間があり、その時「この技術を自分のものにしたい」と改めて思ったと言います。

修行中の現在も澤村さんからは「独立心をもってやりなさい」と言われているそうで、山田さんも自身の工房を構え、世界に誇る美濃和紙を後世に残して行きたいと考えています。
周りが紙漉きをやめていく中、「紙漉き職人の火」を受け継ぎ、あきらめず紙漉き職人であり続けた澤村さん。灯してきたその火を今、山田さんが受け継ぎ、そしてまた次の世代に引き継ごうとしているのです。

伝統への敬意を持ちながら、この先も「なりわい」として成立させるためにはどうすればいいのかを考え、山田さんは紙漉き職人を目指して日々和紙づくりと向き合っています。


【明るく前向きに、いい仕事ができる職人が育つように】
新型コロナウイルスの影響は美濃和紙にもありました。経済状況の停滞に伴い、和紙の受注、生産は少なくなっていったのです。しかし澤村さんは「逆にそれがよかった」といいます。

「山田君を育てる時間になりました。感受性がよく、反応もいい。3年で覚える技術を1年で覚えてくれました。でも一人前の職人になるには10年かかりますけどね。」とうれしそうに話します。

「知識を習得したら、自分の腕にして、体で覚えたら心で漉きなさい」
自分が経験してきた和紙づくりのすべてを、山田さんへ惜しみなく伝えようとする澤村さんの言葉はとてもあたたかいものでした。
この地区に流れる小川にかかる小さな橋を渡ると、一段低い土地に澤村正工房があります。和紙づくりに適した水質と水温の水を地下からくみ上げており、豊かな自然が生む水が美濃の伝統を支えています。歴史を感じさせる趣のある工房には、この日も師匠と弟子のひたむきな姿がありました。

【お世話になった人に、この土地に、恩返しを】
移住して一年になる山田さんはこの土地の自然の豊かさに強く魅力を感じています。
「川の水は澄んで清らか、工房の周りは山も近く空気もきれいです。秋にはその山々が紅葉で赤く染まり絶景になります。」
移りゆく四季の魅力を感じながら、美濃での暮らしを楽しんでいると言います。

「多くの方々にお世話になることで、継業をさせていただいています。岐阜県美濃市でしっかりとした人生を築づけるようにがんばっていきたいです」紙漉き職人としての一歩を踏み出し始めた山田さんは力強く話してくれました。

手漉き和紙はこの町の文化です。毎日教わり、吸収することをしっかりと自分のものにして、少しでも恩返しができたらと思っています」
紙漉き職人を目指す山田さんの思いの根底には「感謝」の気持ちがありました。

【偶然ともいえるタイミングから伝統は受け継がれる】
「美濃和紙の里会館」の館長である清山健(せいやま たけし)さんは、今回の継業事例に関して、紙漉きの産地としての伝承事業、及び後継者事業という2つの面で重要視されています。10年前に仕組みを見直して、広く門戸を開くことで少しでも多くの方が学べるように整えてきたそうです。

その後、少しずつ研修生も増えてきましたが、いつでも工房の後継者として
迎え入れることができるわけではなく、そのタイミングも大きく作用するとのこと。
前年もその前の年も、スクールに通い、紙漉き職人になりたいという人はいたものの、受け入れることのできる工房がなかったそうです。

そういう意味でも、「山田さんはとてもいいタイミングだった」と清山さん。
「スクールに参加している際から本気度も伝わってきました。そして体格もよく、技術の素養もある。澤村さんの工房へ弟子入りをしていた方がちょうど独立したこともあり、タイミングがよかった」

偶然ともいえる縁が山田さんと澤村さんを繋ぎました。

「山田君はまだ1年目なので、まだまだこれからなんです。甘やかすつもりはないのですが、大事に育てたいと思っています。ゆくゆくは本美濃紙保存会の正会員になってもらい、美濃で一番の紙漉き職人になってもらいたい
山田さんに対する清山さんの期待も大きいようです。

「なにより、91 歳の澤村さんがこうして元気で、現役の職人として紙漉きをしながら教えてくれている。これは奇跡です」と清山さん。
様々な困難を乗り越えて繋いできた伝統のバトンが、また新たな後継者に引き継がれようとしています。