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【継業ストーリー】郡上市明宝大谷 めいほうキャンプ場 大塚義弘 × 和田淑人

継業で叶えた独立・起業の夢
【継業ストーリー】郡上市明宝大谷 めいほうキャンプ場 大塚義弘 × 和田淑人
  • 大塚義弘

    引継人

  • 和田淑人

    元事業主

継業で叶えた独立・起業の夢

「郡上おどり」をはじめ、長良川水系の清流吉田川やレトロな町並みで知られる郡上市八幡町の市街地から車で15分ほどの距離にある明宝地区は、緑豊かな山あいの地です。
「めいほうキャンプ場」は、そんなエリアのレジャースポット。郡上市と高山市を結ぶ人気のドライブルート「飛騨美濃せせらぎ街道」の道の駅「磨墨(するすみ)の里」のすぐ隣に位置し、便利な立地でありながら自然を満喫できる場として、昭和の時代から大勢の人々に愛されています。

現在、清流吉田川沿いに広がる約2ヘクタールのキャンプ場を切り盛りするのは、滋賀県からIターン移住した大塚義弘さん。
大塚さんは、地元の人たちが営んでいたキャンプ場を引き継ぎ、2015年から経営しています。キャンプ場の従業員でも、経営者の親族でもない全くの第三者であった大塚さんは、どのように今の仕事と出会ったのでしょうか? 話は数年前にさかのぼります。

地域のにぎわい拠点が閉鎖の危機に!

当時、キャンプ場は「大谷森林総合利用協同組合」という地元組合が運営していました。中心的役割を担っていたのは、組合長を務めていた和田淑人さん。
キャンプ場は、1981年に和田さんの父親を含め8戸10人の地元有志が組合を結成して開設したもので、大谷はその一帯の地名、敷地は、8戸が所有する山林を切り開いて造成した土地でした。運営も組合員たちが協力して行ない、やがてバブル景気が到来してキャンプ場は人気のレジャースポットに。各地から家族連れやグループが訪れて、地域に賑わいが生まれました。

しかし、時代の変化とともに、人気にも陰りが見え、バンガローなどの設備も老朽化。さらに、高齢化や転居で組合員も減少していきました。父親の跡を継いだ和田さんが組合長に就任した1993年には、キャンプ場を運営する組合員は実質3人になっていたのです。
和田さんは、その頃人気が高まっていたオートキャンプ場を増設するなど経営の立て直しを図り、運営を続けてきました。しかし、やがて業績は下降しはじめ、加えて近年は本業の農業も多忙を極めて、組合長として責任を担ってきた和田さんは、キャンプ場をどうしていったらいいのかと将来を思案し続けていました。

廃業はしたくない。誰かが継いでくれればうれしいが、誰でもいいわけでもない。

キャンプ場は、和田さんの父親たちが頑張って造ったもので、地域にとっても大切な施設です。交通の便が良く、各地から人を呼べて、しかも自然環境が素晴らしい。これを無くしてしまうのは忍びないと思って頑張ってきましたが、人手も資金も足りず、後継者もいなかったので、続けていくには限界を感じていました。
赤字にならないうちにやめるべき、いずれは閉鎖も致し方ないとは思いつつ、和田さんは、何とかならないものか、誰か継いでくれる人はいないかと、かねてから郡上市明宝地域振興事務所に相談していたのです。

そんな和田さんのもとへ、ある日、うれしい知らせが届きました。「キャンプ場の運営に興味を持っている人がいる」と。
実は、相談を受けた明宝地域振興事務所は、市内の里山保全活動に取り組む若者たちに声をかけると同時に、郡上市商工会にも相談をしていました。奇しくも、同商工会は、2014年から「郡上市商工会事業支援センター」を開設しており、めいほうキャンプ場を「引渡し希望者」として登録。チラシなどで後継経営者の募集を行っていたのです。
そんな取り組みが、キャンプ場を運営して自然体験の場を提供したいと考えていた大塚さんにつながりました。大塚さんが「引受け希望者」として同センターに登録したことで、商工会が両者をマッチングし、和田さんに打診されたわけです。

「はたして、どんな人だろうか」。連絡を受けて、和田さんの胸には期待と同時に不安が膨らみました。
「ありがたいと思いましたよ。とはいえ、これまで、みんなで一生懸命つくり上げてきたキャンプ場ですから、ちゃんとやっていってくれる人じゃないと安易に渡すわけにはいきません。どんな人物なのか、実際に会って、信用できる人かどうか確かめてみないといけない。どうするかは、それからだなと思いました」

人と人とのつながりも、事務的な契約も、両方重要です。

やがて、郡上市商工会の仲介によって、二人が対面。和田さんは、そのときの大塚さんの印象を次のように語ります。
「まじめそうで、この人なら大丈夫だと思いました。キャンプ場で一緒に作業したりして、しばらく話をすれば、どんな人間かはだいたい分かるものです。奥さんと二人の小さいお子さんも一緒に来てくれたんですが、こういう若い人たちが家族で移り住んで、地域の未来をつくっていっていく姿を想像すると、とうれしかったです」

大塚さんを見込んだ和田さんは、早速、事業を引き継ぐための行動を起こしました。キャンプ場は組合が運営し、地権者も多いため、組合員や地権者に事の次第を説明。キャンプ場の運営の引継ぎと土地の使用についての承認を取りつけて契約書を作成していきました。
「地権者が多く、なかなか面倒な作業でしたが、商工会がしっかりサポートしてくれたので助かりました。大塚さんへの引渡しの金銭的な条件なども、商工会が間に入って話をまとめてもらえたので、お互い、気持ちよく、きちんと契約を交わすことができました」
ちなみに和田さんは、大塚さんへの引き継ぎを決意したときに、地権者が集まる会合を設け、その席で大塚さんを紹介しました。
「やっぱり、人と人とのつながりが大事だからね。実際に会って話をしてみたら、みんな安心して、一気に話がまとまったよ」と振り返ります。

移住者だからこそ自由にチャレンジできる。地域に新しい風を吹かせてほしい

こうして、2015年、キャンプ場の経営は、大谷森林総合利用協同組合から大塚さんへ引き継がれました。和田さんは、最初の頃はよくキャンプ場を訪れて仕事を教えたり、メンテナンスを手伝ったりしていましたが、今では安心して大塚さんを見守っています。
「きれいなホームページを作ってインターネットでもアピールしているし、営業期間を延ばしたり、いろいろな自然体験メニューを提供したり、手ぶらでバーベキューやキャンプなどを楽しめるプランを設けたり、売店の品揃えを充実させたりと、私たちの時代とは全然違うフレッシュな感覚で運営されています。素晴らしい! 若い大塚さんに継いでもらって、本当によかった。どんなことでも、やりたいようにのびのびとやっていってほしいと思っています。だから、何も口出しはしません。新しい考え方で事業を発展させていくには、地元の人間ではない方がいいかもしれません。しがらみがないから、やきもちを焼かれたりすることもありませんからね。移住者の大塚さんだからこそできることがあると思います。どうか、自分を信じ、ご家族で力を合わせて、これから先、もっともっとキャンプ場を発展させて、地域を盛り立てていってください。新しい息子ができたような気持ちで応援しています」
和田さんは、笑顔で大塚さんにエールを送りました。

自分を信じて、やりたいことにチャレンジ! 継業はチャンスです。

滋賀県大津市で生まれ育った大塚さんが郡上市に住むようになったのは24歳の時。奥様の実家である郡上市を訪れた際、その自然に魅せられ、家族で移住してきました。
はじめの2年間は林業関係の仕事をしましたが、その後、自然体験を企画運営する会社で、主に林間学校で郡上にやってくる子どもたちに、さまざまな体験メニューを通じて自然のすばらしさや厳しさを伝える仕事に従事。カヌーや山登り、洞窟探検、ケイビングなど、郡上の豊かな山や川が、子どもたちへの自然教育の場でした。しかし、次第にこれまで経験したことや学んだことを生かして独立してやってみたいという思いが芽生えてきました。

「もしも自分で、そういう体験ができるような場所を造って起業したら、いくらくらいかかるのか、調べてみたことがあるんです。でも、お金も手間もとんでもなくかかって、できるわけがないと途方に暮れました。そんな時、本当にたまたま、商工会の冊子に入っていたキャンプ場の後継経営者募集のチラシを見たんです。わあ、いいなぁと思って。これはチャンスかもしれないと感じ、やってみたいという気持ちが募りました。妻にも話しましたが、もうほとんど自分の中では決めていて、やりたいという気持ちばかり(笑)。家族がいて、子どもを育てていく責任もあるわけですから、独立して事業を始めるというチャレンジは、家族の理解がなければできません。でも、妻は、僕の様子を見て、ほとんど諦めの境地だったみたいです。それくらい、やってみたいという感情があふれていたんでしょうね。不安がなかったと言えば嘘になりますが、どこかに自信みたいなものがあって、とにかく自分を信じてやってみようと思っていました」。

郡上で10年以上生活し、めいほうキャンプ場のことも知っていた大塚さんは、その美しい自然環境や、道の駅の隣という立地、名古屋からでも1時間余りで来られるアクセスの良さなど、全てに魅力を感じていました。そして、和田さんと会ったときには、すでに心を決めていたそうです。
「初めてお会いするときはドキドキしましたが、とても優しい穏やかな方で安心しました。確か、その日のうちに“やります”って商工会に返事をしたと思います」。

地元商工会のサポートに感謝!

大塚さんのひたむきな思いは、和田さんにも確かに伝わりました。事業を託したい、引き継ぎたいという互いのニーズが一致し、気持ちも通じ合って、キャンプ場という地域の財産が未来へつながったのです。
とはいえ、ビジネスの話には金銭や権利などの条件調整が不可欠です。
「お金の話は、当事者同士だと話しにくいし、地元同士だと、つい曖昧になりがち。でも、それでは何かあったときに困ります。だから、商工会が間に入って調整してくださったのは、すごく良かったと思います」。
結局、大塚さんは、営業権無償、定額の借地料を組合に支払う条件で事業を引継ぎました。また、商工会からは、事業計画策定にあたってのアドバイスやサポートもありました。
「どんな活動をしていきたいのか聞いていただき、うっすらと描いていたビジョンが、より明確になっていきましたし、どうやったら、それらを採算ベースに乗せることができるのか、アドバイスもしていただきました。初めての経験で、手探りでしたが、少し道筋が見えた気がしました」とふり返ります。

継業はプラスからのスタート、人脈やノウハウも引き継ぎます。

1年目、大塚さんは自分のスタートが「決してゼロからではない」と感じたそうです。
「最初は、たいしたことはできなくて、和田さんたちがやってこられた事を、そのまま続けている感じでした。でも、従来からのリピーターのお客様も来てくださいましたし、引継いだ顧客リストも大いに活用させていただき、そこから客層を分析してホームページの作成に役立てました。お客様だけではなくて、地元の取引先や人脈など、そういうソフトもセットで引継がせていただいたんだなぁと、ありがたみを実感しました。これは、継業ならではのメリットだと思います。全くのゼロから起業していたら、資金や準備はもとより、最初の集客もどれだけ大変かわかりません」。

大塚さんにとっては、仕事を理解し、応援してくれる和田さんたちの存在も大きな支えです。
「和田さんには、すごく良くしていただいています。最初の頃は、毎日のように見に来てくださって、いろいろ教えていただきました。何でも和田さんに聞いてやっていたような感じで、今でも、分からないことがあると、すぐ電話してしまいます。本当にありがたくて、すごく頼りになる方です。和田さんに出会えて、さらに和田さんが、いろいろな人との縁をつないでくださって、そのおかげで、地元との縁も広がっていきました。もう、和田さんには感謝しかないです」。

一生懸命やったことが形になるのは、うれしいことです。

引継ぎから5年目、事業の収益は、上がっているのでしょうか。大塚さんは、当初から和田さんたちが運営していた時代よりも、キャンプ場の稼働率を上げて売り上げを伸ばそうと考えていました。
そこで、夏場だけの営業ではなく、順次、営業期間を拡大。また、自然体験メニューにしても、川遊び、魚釣り、釣った魚を調理して食べるといったアクティブなものから、キャンプに来ている人がその場で気軽に参加できるような焼き杉体験、ピザ焼き、工作などのライトなものまで、いろいろ工夫しながら提案しています。

「試行錯誤しながらではありますが、コツコツと取り組んできました。正直、1年目はなかなか思うようにはいかず、キャンプ場を経営しつつも、他のアルバイトに行ったりもしていました。妻は他に勤務していましたから、そうやって何とか家族の生活をやりくりしていました。でも、おかげさまで今は1年目に比べれば、売り上げは2倍以上にアップして、営業期間中はアルバイトに行くことはありませんし、妻も繁忙時にはキャンプ場の仕事を手伝ってもらうようになりました。一生懸命やったことが、ちゃんと成果につながったことがうれしくて、やりがいを感じています。今年はトイレをきれいにすることに力を注いで、自分で直せるところは自分で直しましたし、掃除も一生懸命やりました。そういうことって、ちゃんとお客様も見てくださっていて、口コミの評価で“清潔”って褒めていただけたりするんです。やったらやった分だけ結果が出るんですね」。

まだまだ、これから。課題は多いけれど、一生、ここで生きていきます。

とはいえ、キャンプ場のバンガローなど各種設備は、オープンから40年近くが経過し、改修を必要とする時期に来ています。和田さんたちが細やかに手を入れ、補修し続けてきたおかげで今まで耐えてきましたが、そろそろ根本的なリニューアルが必要になっているのです。
「売り上げが上がったとは言っても、修繕が必要なところも多いですからね。ほぼ、一人で運営しているので、毎日やることがいっぱいで、すごく忙しいし、これから、どうやって経営を切り盛りしていくのか、まだまだ頭の痛いことばかり。でも、この仕事をずっと続けて、郡上に骨を埋めるつもりですから、頑張っていきます」

大塚さんは、明宝という集落で、移住者の自分が地域の事業を引き継ぐにあたって、はたして地域に受入れてもらえるのかと心配だったそうです。しかし、実際に中に入ってみると、地域の雰囲気が「全然嫌じゃない、むしろみんなが気にかけてくれてありがたい」と感じている自分がいたのだとか。
「本当は、もっと地域の行事とかに出て、皆さんとつながりたいです。地域って、そういうアナログの関係が大事ですし、楽しいんですよ。でも、週末は、キャンプ場の仕事で手一杯で、なかなか参加できません。それが目下の悩みです」。
大塚さんは、自分を受け入れてくれた地域に感謝するとともに、今後はもっともっと地域と関わっていきたいと感じていると言います。地域の“なりわい”を引き継ぐ「継業」は、設備やお客を引き継ぐだけではなく、地域側の思いも引き継ぐことで、移住者が自然に地域に溶け込むきっかけにもなります。

大塚さんは、和田さんや地域の人々のあたたかい応援を受けながら、今日も奮闘中です。