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interview

モノづくりが好きな人が多い飛騨
そんな友人たちと触れ合うことで私自身、刺激を受けています

堅田恒季さん・みか子さん

- 飛騨職人生活

プロフィール

1993年に大阪府大阪市から高山市に移住、その後2004年頃に飛騨市に移住。

好きな木工を突き詰めるべく木製家具産地の飛騨を選ぶ

思い返せば、子どもの頃から木工が好き。自分の部屋を好きに改造していたという、堅田恒季さん。2段ベッドの下を基地にするなど、モノづくり・家具づくりのスピリットを持つ少年でした。「木は古来、日本人が使ってきた素材。家も家具も、それをつくる道具さえも木でつくり上げてきました。木はモノづくりの基本であり、重要な資源でもあります。そんなところに惹かれたのでしょうね」。

飛騨は全国的に有名な木製家具の産地。移住先をこの地と決めたのは、本場で自分のしたいことを突き詰めるためです。夢をかなえるため、大阪府出身の堅田さんは高山市にある老舗木製家具メーカーの柏木工の門を叩き、就職が決まりました。

当初は永住する意識はなく、技術を身につけたら大阪に帰ってもよい、という程度でした。

▲「飛騨職人生活(http://hida-cafe.com)」の1階はギャラリー兼カフェスペース。木工のカップやオブジェなど小物類を販売しています。

工房に合う建物を見つけ飛騨での定住を決意

就職して9年、会社で設計なども任され、仕事で満足感を得ていた堅田さん。しかし、自作屋台による移動販売の副業が面白くなってきたこともあり、もっといろいろなことにチャレンジしようと、退職・独立を決意。それからは様々な事業に挑戦しました。そして、最終的に初心に返り、モノづくりを仕事の中心に据えることになります。

飛騨市を拠点に選んだのは、運良く廃工場の建物が借りられることになったため。広い作業場兼住居として、うってつけでした。堅田さんはここに工房「飛騨職人生活」を立ち上げました。木製のマグカップやオブジェ、カッティングボードなど、小物を製作して販売。デザイナーや建築家から家具をオーダーされることもあります。

仕事のやり取りは、SNSで行っています。「東京のクライアントともフェイスブックで連絡を取っています。情報もリアルタイムで得られるし、やり取りもスムーズ。都市部でないということは、デメリットにはなりません」。あまりの居心地の良さに、大阪に帰る予定はなくなったと笑います。

▲工房がある建物は約150坪の広いスペース。大型の工作機械も揃え、様々な作品がここで完成します。

工房にはカフェを併設し友人みんなと交流できる場に

もともと、多くの人と交流するのが好きだった堅田さんですから、インターネットでの付き合いだけでは飽き足りません。2015年には工房の建物内にカフェをつくりました。妻のみか子さんもカウンターに立ち接客をします。「たくさんの人に囲まれて暮らしたいと思っていました。なにせ実家が銭湯で、従業員も友人もみんなが集まってくる場所でしたから。ここも、そんな交流ができる場所にしたかったのです」。

幸い飛騨にはモノづくりが好きな人たちが集まっているという地域特性があります。堅田さんも、イベントに出展する機会が増えるにつれ、モノづくりの友人の輪も広がりました。今ではカフェで定期的にイベントを行ったり、体験教室も開催。木工の心を多くの人と共有しながら、ネットワークを広げています。

堅田さんに聞きました!
移住に関する情報をどうやって収集した?

飛騨の木製家具メーカーに就職できればと思い、直接現地で会社を探しました。

移住に関して大変だったことは?

都会育ちなので、最初は山に囲まれている環境に慣れませんでした。ほぼ毎週末、近隣の市街地まで車を走らせていました。

現在の住まいは?

約150坪の電子部品の廃工場で、住居部分もあった物件を借り、その後、買い取りました。

現在の仕事は?

木製家具職人。家具はオーダーでつくりながら、木工の小物類も販売しています。

これからの夢は?

こっちで知り合ったモノづくりの友人たちと一緒に何かチャレンジしていきたい。